どこまで続く「悪あがき」

 11月23日本埜村議選で、「反村長派」が圧倒的な勝利をおさめ、小川村長も、村長にくっついてきた議員&候補たちも惨敗を喫した後も村長の「悪あがき」は続いているようです。

 選挙の終わった翌日、5人の議員が議会の開催を申し入れ、これとは別に4人の議員による議会招集請求があったにもかかわらず、今日に至っても議会は開かれず、結局このまま12月27日の村長解職投票まで現在の膠着状態が続いていきそうな気配です。

 しかも、村長「最後の抵抗」として、この解職投票の差し止めを求める訴えを起こし、何とかリコール運動そのものを妨害しようとしているのですから、「往生際が悪い」などという、ありきたりの形容をはるかに超えた人物であり、事態というほかありません。この、村長による悪あがき訴訟に対しては、リコールを推進する陣営が、万が一にも小川村長のクレイジーな要求が法的に通るようなことのないよう、適切な対応をとりつつあるので、悪あがきは文字通り悪あがきにしかならない見通しですが、一連のドタバタ劇を見ていて、小川村長の発想および行動パターンに面白い傾向があるのに気がつきました。

 解職投票の差し止めを求める訴えというのは、解職投票を管理する選挙管理委員長を村長が訴える形ですが、訴えられた選挙管理委員長は当然の措置として弁護士を雇うことになります。この弁護士を雇う費用の決裁について、小川村長がこれを認めないと言って大騒ぎしたと言います。村長としての権限をもつ小川氏と、リコールから逃げ回る小川氏とが入り交じって、何やら複雑な関係のように見えますが、実はこのドタバタにこそ、このところの小川氏の行動パターンの一つの特徴が如実に現れています。
 
 「公私混同」という言葉がありますが、小川氏の場合、発想も行動も10割100%「私」で占められており、「公」などという意識の入り込む余地はゼロなのではないかと思います。リコールや不信任を避けるために、平気で地方自治法を侵すし、合併申請義務違反にもヘッチャラという傍若無人ぶりを見せつける一方、自分が訴えた選挙管理委員長が公職として対抗策をとろうとすると、それは認めない・・・・。

 論理も大義も、公共の利益も、この人の辞書にはないようです。