村議選以後・・・・

「東京から来た嫁」さんへ

 村議選の公開討論会にご参加いただき、ありがとうございました。

 本埜村では、今まで候補者たちの申し合わせで非常に「大人しい」選挙選をやってきました。宣伝カーを走らせたり、大音量のスピーカーで屋内にいる有権者に訴えるなど、すべて御法度でした(今回、こうした慣例を見直して、宣伝カーやスピーカーで回る候補も少数ながら見られたようですが)。

 こうした御法度は、良い意味では候補者たちの良識の表れ(なるべく選挙のことで住民に迷惑をかけない)ということもでき、また在来の村落では候補者も有権者もお互い子供の頃からよく知った仲、お互いの家族構成まで分かった者同士という条件なので、選挙だからといって、事改めて「政見」の訴えかけをする必要はなかったのだと思います。

 しかし、滝野というニュータウン地区が整備され、そこに一気にたくさんの人たちが移住してきた後、こうした選挙戦のあり方では、有権者からみて候補者の顔、考え方、政策等に関する情報、誰に一票を投じたらいいのかの判断材料がうまく入ってこない、滝野では極端な「情報過疎」状況が存在してきたと思います。

 このような「情報過疎」状態では、特定の情報を継続的かつ大量に流し込まれると、ほとんどの人がその特定情報に過度に影響される危険性が高まります。私の観察では、この点をうまく突いたのが、18年3月の村長選での小川利彦氏だったと思います。

 彼は、それまで長い間当時の五十嵐勇村長の「疑惑」事件について、執拗に「追求」し、村内、特に滝野地区に大量のビラを撒き、一つの世論(五十嵐=悪い奴)を形成することに成功しました。実際には、その後五十嵐氏は、名誉毀損などで小川氏を訴えて、3回裁判に勝訴しており、小川氏が大量のビラを撒くことで形成した「世論」なるものは、必ずしも根拠のあるものではなかったわけですが。

 今回の討論会は、特に滝野地区の「情報過疎」に少しでも風穴を開けようと試みたものですが、多くの方が、各候補者の主張に初めて接したり、あるいは少なくとも各候補者が一同に会して、議論し合うという場面を見聞きするのは初めてだったろうと思います。

>図らずも小川村長のおかげで本埜村村民の意識が高まっていることを心強く感じることができました。

 この点は、仰るとおりであり、小川村長のこのたびの行状は、逆に多くの村民の意識に「火」を点けたといえるでしょうね。皮肉なことですが、これは小川村長の「功績」かもしれません。

>合併への期待はそう大きくはありませんが、現状よりは期待できるかな?程度。

 市町村合併というテーマは、政治的に語られる(「メリットとデメリット」「是か否か」という2分法)ことが多いのですが、そもそもこれは、一つの広域的な地域が今後どう運営されていくかという、大きな地域戦略の一角を占める問題であり、そう簡単にメリットもデメリットも見えるものではないと思います。合併を推進しようとする側は、どうしてもメリットを強調しようとするので、「合併さえすれば、すべてが良くなる」式の議論に傾きがちですし、逆に合併に批判的な人たちは、現状の問題点(+それらの問題点が近未来にどれだけ悪化するか)に目をつむりがちだと思うので、議論を聞いている一般の住民には、もう一つよくわからない、どちらの議論にもしっくりしないものが残るのは当然だと思います。

 特に「平成の大合併」というのは、何らかのメリットがあるから合併するというより、このままだと今よりももっと大変なことになるから、それを避けるために合併する、という割り切り方しかないのではないかと、個人的には考えています。それと、この地域固有の問題として、ここまで高規格のインフラを整備してきた千葉ニュータウン事業が平成25年度をもって収束する、その後のこの街をメンテナンスしていくのに、印西だ、白井だと言っていては話にならないでしょう、ましてや、村が村のまま残っていけると考えるのは、少し甘過ぎやしませんか、という思いがあります。

 結局、地域が抱えている問題がこの先どう改善されていくか、それとも悪化の一途を辿るかを予測し、たくさんある課題の中で優先順位をつけて、その視点から合併を考えていくという方法しかないのだと思います。